映画「フロリダプロジェクト」
多くの人がお金をかけて訪れる夢の国ディズニー、その隣にあるモーテルで
詐欺や盗んだ物を売るなどしてその日暮らしをしているシングルマザーのヘイリーと娘のムーニー。
こういう貧困の現実もだけれど
この映画はキラキラしたストーリーを作り込んだり感動作に仕上げたような胡散臭さは微塵も無くて、リゾート地のポップな可愛いらしいカラーの建物や太陽の陽射しとは対極的にある母と娘の暮らしが描かれている。
6歳のムーニーにとってヘイリーは大好きなママで、モーテルの人々や友達との世界は大冒険で。外から見れば福祉局の介入は確かに必要な措置かもしれないけれど
ヘイリーはヘイリーの可能なだけありのままに、娘を愛して守っていることが映画の中でよくわかるように描かれている。
環境って、何だろうか…と問いかけられているようだった。
是枝監督の「誰も知らない」
(ネグレクト下の環境におかれている兄弟たちの視点で描かれている実話を元にした作品)
も参考にしたらしいこの映画の監督。
「誰も知らない」の感想はこちら↓
監督の訴えていることが始めから終わりまで詰まっている映画だった。
ヘイリーの何が自業自得だと言うのか。
現実の中を生きるその事実に目を背けて表面上だけ眺めていたら、彼女は素行悪く母親失格だとしか見えてこないのかもしれない。
けれど様々な相互の環境の中でヘイリーはヘイリーとして生きているその事実に対して、批判出来るはずがない。
ムーニーはママが大好きで
不安な現実を6歳なりに敏感に感じとりながらも、虚勢を張り口調も態度もママを真似ているかのように見えた。それは等身大のムーニーだ。
「倒れても育っている木」を好きだと言ったり「大人が泣く前はわかるんだ」と言ったムーニーの言葉は胸に刺さった。
それでも、ムーニーの目線ではこのママとの生活の瞬間瞬間が隣の夢の国ディズニーのように豊かなのだ、と思える。
映画の中にある様々な対比の描写は、この事実を世界に突きつけているようだった。
ラストは、とにかく現実というものを考えさせられる。
加えて、モーテルの支配人のボビーの、幼い母ヘイリーとムーニーをなんだかんだ見捨てずに見守っているような姿もこの映画の伝えたいことなのかもしれない。